「火の鳥は、ここから飛んだ。」
1967年、手塚治虫は虫プロコミックスから漫画雑誌「COM」を創刊した。少年誌でも少女誌でもない、漫画を「表現」として問い直そうとした場所。誌面には『火の鳥』が連載され、投稿欄「ぐら・こん」には全国から原稿が届いた。萩尾望都、よしもとよしとも——後に時代を作る才能たちが、この小さな雑誌の片隅で育った。商業主義に抗いながら、漫画で何かを言おうとした熱が、ページのインクの匂いから立ち上ってくるようだった。COMを手に取ったことがある人なら、あの紙の感触をまだ指が覚えているかもしれない。
COM創刊とは。 COMとは、1967年1月に手塚治虫が主宰する虫プロコミックスが創刊した漫画専門誌である。少年誌・少女誌とは異なり、漫画を芸術・表現として探求することを理念とし、1972年に休刊した。
「COM創刊」を他のサービスで
A. 1967年1月に虫プロコミックスが創刊した漫画専門誌。少年誌・少女誌とは一線を画し、漫画を芸術表現として問い直すことを理念とした。1972年に休刊。
A. 手塚治虫が中心となり、自身が主宰する虫プロコミックスから創刊した。
A. COMに設けられた読者投稿欄の名称。全国から漫画原稿が集まり、萩尾望都をはじめ後に著名となる漫画家を多数輩出した。
A. 手塚治虫の代表作『火の鳥』がCOM誌上で連載された。
A. 1972年に休刊した。創刊から約5年の刊行期間であった。
A. 萩尾望都は読者投稿欄「ぐら・こん」を通じて頭角を現した漫画家の一人で、後に少女漫画の金字塔となる作品群を生み出した。
A. 「漫画の神様」と称される日本の漫画家・アニメーター。『鉄腕アトム』『火の鳥』など多数の名作を生み出し、日本の漫画・アニメ産業の基礎を築いた。
A. 手塚治虫のライフワークとも呼ばれる漫画作品。生命と輪廻をテーマに、様々な時代を舞台とした連作形式で描かれた。
A. 『ポーの一族』『トーマの心臓』などで知られる少女漫画の巨匠。COMの投稿欄「ぐら・こん」でキャリアの端緒を開いた。
A. 手塚治虫が1961年に設立したアニメーション制作会社。COMの発行母体「虫プロコミックス」はその出版部門にあたる。
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