「自民党よ、さらば。」
1993年8月9日、細川護熙が総理大臣に就任した夜、テレビの前で「本当に変わるのか」と思った人は少なくなかった。38年間続いた自民党一党支配が崩れ、日本新党、新生党、社会党、さきがけ——かつて対立していた党が手を結んで政権を握る光景は、現実とは思えないほど劇的だった。「政治改革」という言葉が新聞の一面に踊り、選挙区の区割りが変わり、政治家たちが看板を付け替えるように党籍を変えていった。期待が膨らんだ分だけ、その後の連立の混乱と短命政権の連続が重く感じられた。あの夏の興奮は、日本の政治への目が変わった瞬間だったのかもしれない。
55年体制の終焉とは。 55年体制の終焉とは、1955年の自由民主党結成以来38年間続いた自民党一党優位政治体制が、1993年7月の第40回衆議院議員総選挙での自民党過半数割れを機に崩壊し、同年8月に細川護熙を首相とする非自民8党派連立政権が誕生した出来事である。
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A. 1955年11月の自由民主党結成から1993年8月の細川連立政権発足まで、約38年間続いた。
A. 1993年6月の宮澤内閣不信任決議案可決と、同年7月の衆院選での自民党過半数割れが直接の契機である。自民党内からの離党・新党結成が分裂を加速させた。
A. 1992年に自ら立ち上げた日本新党の代表である。
A. 1994年に政治改革四法が成立し、従来の中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へ移行した。
A. イデオロギーの異なる8党派による連立だったため政策調整が難航し、細川首相自身の政治資金問題も重なり、1994年4月に約8か月で総辞職した。
A. 1994年6月、自民党は従来の対立政党だった日本社会党・新党さきがけと連立を組み、村山富市を首相とする村山内閣が発足して政権に復帰した。
A. 熊本県知事・参議院議員を経て日本新党を創設した政治家。1993年に第79代内閣総理大臣に就任した。
A. 自民党幹事長経験者でありながら1993年に離党して新生党を結成し、非自民連立政権の形成を主導した中心人物である。
A. 高度経済成長期における安定した経済運営と、農村部・業界団体との強固な支持基盤が長期政権を支えた。
Q. 1993年の衆院選で自民党は何議席獲得したか?
A. 223議席で、過半数の256議席を下回った。選挙前の275議席から大きく後退した。
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