「日本中がテレビの前で息を呑んだ。」
1972年2月、極寒の軽井沢でテレビカメラは10日間回り続けた。鉄球がコンクリートの壁を叩く鈍い音、白い息を吐く機動隊員、アナウンサーの緊張した声——茶の間に座っていた人々は、事件の「目撃者」になった。カップヌードルが機動隊員の手で湯気を立てている画が映ると、それが全国に広まって売り上げが急増したという話も、あの出来事の記憶と一緒に残っている。連合赤軍という言葉の重さ、「人質」という現実のリアルさ、そして解決の瞬間の安堵と虚脱感。「テレビで事件を観る」ことの意味を、日本人が初めて問い直したあの冬。あなたはどこで、あの中継を見ていたのだろう。
あさま山荘事件とは。 あさま山荘事件とは、1972年(昭和47年)2月19日から28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器製作所の保養所「あさま山荘」に連合赤軍の残党5名が侵入し、管理人の妻を人質にとって10日間にわたり立てこもった籠城・人質事件である。
A. 1972年(昭和47年)2月19日に始まり、2月28日に解決した10日間の籠城事件。
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A. 連合赤軍の残党5名。いずれも2月28日の機動隊突入により逮捕された。
A. 長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器製作所の保養所「あさま山荘」。
A. 1972年2月28日、機動隊が鉄球でコンクリート壁を破壊して突入し、人質を救出。犯人5名全員を逮捕した。
A. 機動隊員が待機中にカップヌードルを食べる様子がテレビ生中継で全国に映し出されたことが、製品の知名度向上と売り上げ急増につながったとされる。
A. NHKや民放各局が10日間にわたり生中継を行い、解決当日の視聴率は記録的な水準に達した。日本のテレビ報道史における画期的な事件報道として知られる。
A. 1971年に複数の新左翼党派が合流して結成された武装組織。あさま山荘事件の直前には山岳ベースでのリンチ・粛清事件(連合赤軍リンチ事件)も発覚した。
A. 長野県北佐久郡に位置するリゾート地。明治以降、外国人宣教師や文人に避暑地として親しまれてきた。
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